信念投資 ヤマヒマンの株ブログ

投資の話とおにぎり屋の話をします。

2013年、経済的自由を求めて株式投資を始める。 2022年、脱サラしておにぎり屋を始める。 株とおにぎり屋のブログです。

株歴史

株式投資に興味をもったきっかけ

以前のブログで、28歳で株を始めたと書いた。
今回は、最初の株との接点について書いてみたいと思う。

というのも、そのときの出会いが、今の投資スタイルの根幹でもあるからだ。

僕はお笑い芸人を辞めた後、28歳でNYに短期留学した。

昔からヒップホップを中心とした黒人文化に興味があって、その文化の中心だったNYは一度は住んでみたい場所だった。

そこでアジア系アメリカ人のチェンに出会った。彼は当時40歳で独身だった。

僕が彼から英語を習う代わりに、日本語を彼に教えるというlanguage exchangeのパートナーだった。

同じアジア同士、波長がとても合った。

僕は、語学学校が終わってから暇になるので
チェンとよくlanguage exchangeをした。
彼は仕事をしている様子がなかった。
僕が会いたい時にいつでも彼と会えたからだ。

チェンに仕事は何をしてるのかと聞くと、
決まって勉強中の日本語で、

ヒ・ミ・ツ

と答えた。

僕の中で、チェンは何で生計を立てているのか?英語の勉強よりもそれが気になってしょうがなくなった。

チェンは、マンハッタンから少し離れたエリアのマンションに住み、贅沢な生活とまではいかないが、どこか余裕のある生活ぶりだった。

ある日、チェンとAppleの話をした。

チェンは、Appleをこよなく愛しており、異様なまでに詳しかった。
僕は、当時iPadも販売し、この先魅力的な製品はでないのではないかと話した。

珍しく激しい議論になった。
チェンはまるでジョブズが憑依したように反論した。

議論の中、そんなに好きならAppleに入社した方がいいと伝えると、

だから、Appleの株も買っていると答えた。

どれぐらい持ってるのと聞くと、

言いづらそうに、

全資産。

ぜ、ぜんしさん。。。



どんだけ~



松尾




驚いて、
僕  「いつ頃Apple株を買ったの」
チェン「2001年 ipodが発売した年」
僕  「すごいね~。10年前だ。結構儲かってるの?」
チェン「うん。30倍くらい。」




どんだけ~



ikko


衝撃すぎて本物のIKKO出てきました。


そこからチェンが秘密を教えてくれた。

最初は両親が残してくれた資産をETFで運用していたが、現在は、Apple株のみ。
今は、投資のみで生活をしていると。

僕はこの時、心の底からこう思いました。


こんな偉大な人になりたい!


自分の好きなことだけをして生きる。
なんて素敵なんだろうと、いつか株を始めようと心に誓ったのでした。


ちなみに、現在のAppleの株価は、113ドル。
彼が買ったという2001年の株価は0.4ドル

282.5倍です。
もし100万投資していたらたった20年で、約3億になっているわけです。


apple


ipodを発売した時、誰しもがAppleを知っていました。
Appleは2000年にジョブズがCEOに再度就任して魅力的な製品をリリースし続けます。

ipodとiTunes、iPhone、iPad

みんな使って、みんな知ってる。
でも、それらの製品をリリースした時に、もしApple株も一緒に買っていたら??

そう。どのタイミングでも10倍以上にはなっているわけです。

保有し続けるのは本当に大変なことだけど、株式投資には夢がある。

それを教えてくれたのがチェンでした。
今はチェンと連絡をとれてないけど、僕の心の師匠であり続けます。

以上が僕の投資の原点です。



■僕の投資の根幹にあるもの


僕の資産の1/3は、ホープで作られてます。
去年ホープとめぐりあって、集中投資によって急激に資産が増加しました。

幾つもいい銘柄を探し出す必要はないと思っています。
一発屋でいいのです。
(芸人もそうですが、一発当てるということは本当に誇るべきことだと思います。)

もし本当に急成長する会社を見つけられたならば、資産を集中し、信念をもって長期保有する。
それこそが投資の王道であり、僕の理想とする投資です。

その究極形がチェンが投資したApple株への長期投資であると思っています。

マイ株歴史 東電株 後半

前半をまだ読んでいない方は、まず前半部分をお読みいただければと思います。


2013年1月、日経株価は大きく動き出していました。

僕は、取り憑かれたかのように、東電株に夢中でした。

3月下旬、200円前後で推移していた東電株が突然動意づきました。
4日連続10%以上の上昇。
4月中旬には450円になっていました。

その時の東電株は出来高も毎日市場トップでした。

半年前に株を始めた初心者が、一点集中した銘柄がアベノミクスの人気銘柄になったのです。
僕は大いに株に対して自信を持ちました。
と同時に自分のこのアイデアは完璧だと確信しました。

東電株はここからさらに上がる。
少なくとも事故前の2000円の半額には戻るだろうと根拠のない考えが頭を支配しました。

この考えが完璧なのであれば、今現物株だけで運用しておくのはもったいない。
信用買いを加えるべきだと思い、信用口座を開設しました。
開設したその日に信用で2倍まで買い増しました。

4月、アベノミクスという言葉と共に、テレビでも大きく報道され、狂ったように日経平均は連日上昇していました。 

そんなある日、井中先輩から電話がありました。


「東電株、俺も買いたい。」


パチンコとキャバクラに明け暮れていた先輩がいよいよ黒田バズーカによって株に目覚めました。

僕と井中先輩はその日から株の話題で夢中になりました。

東電株は一旦の調整後、アベノミクスの追い風と共に5月14日より再び猛烈な上昇を開始しました。

5月13日 450円 
5月14日 520円 +15.5% 
5月16日 612円 +17.7%
5月17日 626円   +2.2%
5月20日 725円 +15.8%

たった1週間で株価は約2倍に。

僕は、初めて1万円の高級寿司に。
井中先輩は、いつもの神田のキャバクラで初めて同伴出勤をしました。

そして、5月21日、
朝から寄らず、前日比11%高の始値807円をつけました。
半年前100万以下だった僕の資産は約800万ほどになってました。

もはや仕事どころではない2人。

カイジ流に言うならば、
桃源郷を彷徨うが如くの圧倒的至福っ…!


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突然大きな声オフィスに響きわたりました。


「早くその株売ったほうがいいです!」


カンさんでした。

「ボリンジャー3シグマいってるじゃない!RSIも100。これ十時線になるよ!」

日本語もわからず株も詳しくない思ってたカンさん。
専門用語を混ぜて話してきました。
無口のはずが、いきなり悟空の場所を話始めた人造人間16号のようです。

聞けばカンさん韓国で信用取引をし株取引で大損。二度とやらないと決めたという。その時に詳しく株を勉強したそう。

でもそんなこと東電爆上げボーイズの僕らの耳には届きません。
アベノミクスの中心にいる東電株が落ちる訳はない。強く反論しました。

カンさんは、残念そうな顔をして仕事に戻りました。

800円に到達したその日をピークに東電株は下がりはじめました。
そして5月23日、日経平均も暴落。

日々減っていく含み益。
動揺する僕と井中先輩。
ただ僕の心には、根拠のない自信が灯っていました。必ず戻る。
東電株は、1000円になるんだ!と。

ふと横を見ると

井中先輩は無言で、成行で売ってました。

その後東電株は、800円を奪還することなく、長期下降トレンドに。

結局僕の心も折れ、約1年後に400円前後で全て売却しました。
資産としては当初に比べ300万になりましたが、気持ちは完全に負けていました。

なぜあの時利確出来なかったのだろうと。
自分の信念は、なんの根拠もないただの思い込みだったのだと悟りました。

東電株の800円は、10年に1度の上昇相場と交わり、人々の熱狂とともに、祭り上げられファンダメンタルズとは一切関係のない虚像の数字。

それが自分が描いたストーリーと、偶然にも一致しただけだったのです。。。

以上
僕が初めて購入した銘柄 東電株の思い出でした。

ここから学ぶことは、3つありました。

①井中先輩の株購入
先輩は最初から株に興味はありませんでした。
4月メディアが大きく株の上昇を取り上げ、儲かるなら株をやりたいということで
入ってきたのです。
この時点で旨味はほとんどありません。
ニューヨークの靴磨きの少年のように、
興味のない人が株を始める=相場の天井が近い
良く分からないOLが儲かっているニュースを見たら本当に注意が必要と思っています。

②カンさんのアドバイス
僕は今でもあの時、あの声を聞いておけばと後悔しています。
今、振り返ってみるとどう考えても過熱しており少なくとも一部利確が正しい選択でした。
上昇している時ほど周りが見えなくなる。
その時ほど冷静になろうと。

③信念とは紙一重
僕は性格的に思い込みが激しいタイプです。
ホールド力が高まり、大きく利益を引っ張ることができる反面失敗に気づかないと大きく損失を出す可能性があります。

常に自分の信念に対して、この考えが本当に正しいのかという自問自答を繰り返し、冷静と情熱のあいだを保とうと心掛けています

現在、東電株は300円。
東電株は復活し、1000円に到達するという僕が描いたストーリーは、外れていたわけです。

マイ株歴史 東電株 前半

最近、ブログも以前より見て頂けるようになったので、改めて自己紹介がてら僕の株歴史を書きたいと思います。

株を始めたのは2012年後半でした。
僕は28歳まで芸人をやっていました。
生活をするのもギリギリでお金なく、70万前後のスタートだったと思います。

株を始めた理由は経済的自由を得るためです。
芸人を諦めた今、リーマンが一発逆転で大金を手にする最もシンプルな方法は株しかないと思いました。

何を買ったらいいか全く分からないので、とりあえず評判が良さそうな本を買いました。




ファンダメンタルズの名著とよばれるこの本は
今振り返っても気付かされる点があり、この本が今の自分のスタイルの一部をなしています。

ただ当時は、難しいワードなどもありピンとこず、なんとか読了しました。
その中で、印象に残った記述がありました。

それは、業績回復株という紹介で、
スリーマイル島原子力発電所で事故が発生し、同発電所を運営していたGPU社の株が暴落。
3ドルまで落ちた株価が、8年をかけて38ドルに戻ったという話でした。


これ、まんま東京電力じゃないか。。。


ご存じのように東京電力は2011年、原発事故を起こして東電の株価は2000円から130円まで下がってました。

調べてみると電力は必ず必要のため、
国から多額の資金援助が入っており東京電力を国が潰せないことが分かりました。

スリーマイル島と同様に、東電株は回復する!

思いついた考えに興奮しました。

僕が当時働いていた会社は僕含めて3人しか社員がいないベンチャーでした。
1人は韓国人で32歳女性のカンさん。
もう一人は、大学の先輩で入社を誘ってくれた井中先輩でした。

早速井中先輩に、東電株の良さを力説しました。


「もうそんなことよりパチンコやろうぜ」


井中先輩はパチンコ狂いだったのです。

お話にならない。
その日僕は全資産、東電株を買いました
といっても70万です。

その日から僕は東電株に憑かれたようでした。毎日そのことしか考えられず、毎月給与が出ては、コツコツ東電株を買いました。

2012年12月17日東電株が突如S高となりました。

その前日、衆議院総選挙で自民党が過半数を大きく上回り政権交代が決定しました。
市場は、自民党が東電に対して更なる公的支援を行うという思惑からでした。

この時の自分を表現しているコマはこれ以上ないです。 

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自民党への感謝。心の底から感謝しました。

自分が思いついたアイデアが近づいている。自民党のおかげで復活するのだと!

すぐに井中先輩に東電がS高になったこと。東電は自民党の下、大きく復活することを伝え、
東電株を強く勧めました。


「そんなことより神田のキャバクラ行こうよ。」


井中先輩はキャバクラ狂いでもありました。


お話にならない。
カンさんにも話して東電株を勧めようと思いましたが、日本に来てまだ短く、日本語での意思疎通が難しい部分があり、
またそもそも株に興味が無さそうなので話すことはやめました。


2012年12月26日、
第二次安倍内閣が発足しました。

2013年、停滞していた日本の株式市場が大きく動き始めた年。


僕は、幸運にもアベノミクスが動き出す、ほんの少し前に株を始めていたのです。

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思いがけず長くなりそうなので、次回続きを書きたいと思います。。。
Twitter プロフィール
経済的自由を求めて2013年より株式投資を始める。 2022年脱サラしておにぎり屋を始める。 株とおにぎり屋のブログです。
総資産推移
2014年  2,961,412円
2015年  4,489,424円
2016年  6,826,520円
2017年  15,681,681円
←ユナイテッドに投資
2018年  13,901,773円 ←JALCO HDで負ける
2019年  30,625,866円
←賃貸併用住宅を建て大家になる。ホープで勝つ
2020年  49,884,788円
←コロナ禍。金融緩和で株高に。
2021年  39,183,907円
←AI insideで負ける。一時復活するも一発狙いとなり資産減となる。